歴史
1955年、東京大学物理学科卒業。大学院では高橋秀俊のもとでパラメトロンコンピュータのプログラミングを担当。プログラム本文の一部と文字コード変換テーブルを兼ね合わせることでサイズ圧縮を実現し、ハッカー作品と称された。工学博士の学位を取得。 1973年から1974年までマサチューセッツ工科大学の準教授を勤めた。これが縁となり、のちにMITの教科書で計算機科学分野の古典である『計算機プログラムの構造と解釈』第二版の翻訳を担当した。翻訳では他に、ドナルド・クヌースが書いたアルゴリズムの聖典『The Art of Computer Programming』の監訳も担当。